決定的な変化

決定的な変化

間が空いてしまったせいもあると思いますが、前回の記事の反響が大きかったので、「同調圧力」とその他の内容についてもう一歩議論を進めてみたいと思います。

私が前回述べました、「同調圧力」と「強みにフォーカスする」、そして職業上の次の選択は一連のストーリーとなっています。

<同調圧力について>
まず今後の議論をわかりやすくするために、私のバックグラウンドについてに記載します。

日本人として日本で生まれたものの、1歳でアメリカに連れていかれ(両親に罪はありません、社命ですので)、物心つく前にアメリカにいた私は、目一杯アメリカ西海岸的な感覚を全身で吸収して6歳まで育ち、日本に帰国しました。
そのため、多くの同級生が幼稚園頃の時期までに感覚として身につけている、「周囲にある程度合わせる」という感覚を全く身につけていませんでした。

それゆえ、周囲に合わせることが全然できず、目立ち過ぎないように気をつける、ということも全くできず、小学校の低学年のうちは、ちょっと変わった面白いやつ、真ん中の3、4年生頃になるとちょっと扱いづらいやつ、という感じで徐々に徐々に立つ場所が狭くなっていきました。
この頃からあまり笑うことができなくなってきました。

ついに小学校高学年にもなると、明らかに変わり者としていじめられるようになり、6年生の時にはいじめられるのが嫌なので屈服して、自分を一切表現しないという解決策でしのぎました。

中学生になると周りはすっかり成長していて、すでに同調の使い方に関して大人並みになっていたのですが、私はそもそも基本ができていないので何をどうすればいいのか相変わらずさっぱり分からず周りの真似をしてみてもうまく行かず、たまに自然に振る舞うとにらまれるのでただひたすら大人しくすることでその場をしのいでいました。
公立の学校で、程度は軽いものの体罰もまだあったので、いちいち何かを言いかえしているの明らかに「損」でした。

そんな時に、たまたま父の仕事で今度はイギリスに行くことになりました。
命拾いした気がしたものです。

ロンドンでは日本人学校に入りましたが、全寮制で海外経験が長い人が多かったのでようやく自分らしさを取り戻して、かなり自由に生きることができるようになりました。
生徒は全員日本人なので一定の同調圧力はありましたが、程度はかなり低いものでした。

その後帰国して大学に入ったのですが、ここがまたかなり圧力が強い場所で、みんな好き勝手に時間を過ごしているようで、無意識レベルでの同調が強く大変息苦しく感じました。
今は「同調圧力」に関して明確に理解できたからこそ言えるのですが、この頃は何が原因で自分は苦しくて仕方がないのかさっぱり分からなかったので、いつもイライラして周囲に当たることが多かったのを覚えています。

大学を卒業して自分で仕事をするようになると、そういった圧力は弱くなりました。
もっとも、私はその圧力に適応できないと思って就職をせず、自営業の道を選んだおかげでそうなっただけで、会社やお役所に勤めたら、きっともっと息苦しかったのだと思います。

大学卒業時に、組織に勤めることは今の自分には不可能だ、と確信して、就職をしませんでした。
もちろん他に夢があったことも事実ですが、組織の中で息ができる気がしなかった、というのも大きな理由です。
ただ、この時点でもやはり、なぜそれができないのかは分かっていませんでした。
(今なら、「同調圧力」との付き合い方がわからなかったからだ、と言い切れますが)

その後も私は、選択すべき様々な場面でことごとく悩み、苦労し続けました。
繰り返しますが、今なら「同調圧力」との付き合い方が分かっていなかったため、強い圧力を感じるところには関わる気が全く起きなかったからだ、といえますが、当時は本当に理解できておらずただ妻には心配をかけ続けるばかりでした。

そうこうして30歳ぐらいになると、ようやく本当にようやく少しずつ周りに合わせるということの意味が分かってきて、自営業も飽きてきたので組織に入って仕事をしてみようという気になりました。
そして数社の勤務を経て、今の仕事をしています。
しかし、ごく最近まで圧力に対する技術的な対応方法を何とか身につけていただけで、不快感は変わらずありましたし、原因も明確には分かっていませんでした。
けっして、克服したから組織で仕事ができるようになった、というわけではありません。

<強みにフォーカスする>
同調を求める圧力は、個人が自分の強みを発揮して生きるという道からはかなり遠い位置にあります。
個人が強みを活かそうとすると、同調から離れたことをする必要が生じます。

私自身、強みにフォーカスするという発想は理解しているつもりでしたが、英語の本を日本語訳で読んで勉強していることが多かったので、そのニュアンスの違いに気がつきませんでした。
ところが、マーカス・バッキンガムの本を、Audio Bookの形で本人の肉声で繰り返し聴いているうちに、「あれ、何か違うぞ?」と思うようになったのです。
それは、体の中から湧いてくる感覚で、言葉にすると抽象度が下がって表現できないのですが、日本語で「強みにフォーカスする」というのと、英語で「Only spend your time on what plays to your strengths」では感覚が異なると感じたのです。
その微妙な違いについて考えているうちに、「もしかして自分は強みを生かしているつもりだけど、実はできていないのではないか?」と感じるようになったのです。
無言の圧力によって本当の自分は隠されていた、そして、自分でその事実に気がついていなかったというわけです。
もちろん、全ては自分の力不足です。外部に非があるわけではありません。

ここに至るには非常に長い思考が必要でした。
そのことを全て書くと相当なボリュームになるので割愛し、今は結論だけを言うと、そのことに気がついた時に、「同調圧力」から自由になって、本当のゴールを見極め、本当の強みを発揮して生きよう、と決意するに至ったのです。

<職業上の次の選択>
こうして、自分を40年間近く縛ってきたものが何かを理解し、本当にやりたいことと、自分の本当の強みを見極めた段階になって、自分の内側から100%の確信を持って、次の一歩が見えてきました。
その内容は必ずしも職業に限定されるものではないのですが、一日の多くの時間を費やす仕事での変化が最初に訪れました。

何かわからない何かを恐れることなく、良いと思うこと、必要だと思うことについて、心の底から確信を持って発言し行動することができるようになったのです。
自分自身に対して、決定的に確信を持つことができるようになった瞬間です。
そうなると、仕事のクオリティは圧倒的に高まってきましたし、周囲の見る目も明らかに変わってきました。
これまで無意識に抑えていた能力も自然と発揮されるようになり、成果も明らかに変化してきました。

こうして、成果が大きく向上し、自分自身への確信が高まり、さらに先に進まないといけないと強く思うようになったのです。

すべて、これまで自分が「同調圧力」に屈して自分の人生を生きていなかったという痛烈な事実を受け入れて、その事実を乗り越えた上で未来を作っていくと決意したことによって拓けた道です。

このように、「同調圧力」、「強みにフォーカス」、職業上の次の選択、は一連のストーリーとしてつながっているのでした。