原体験:The reason of my goal

原体験:The reason of my goal

誰でも自分の原点と言えるものがあるのだと思う。

僕の場合は小学校から中学校まで同じ学校だったR君(仮名)との付き合いだ。
彼はテストがあるたびに僕に電話をかけてきて「勉強を教えて」と言った。
たいていそれは算数(のちに数学)だった。

テストの直前だから(特に中学になると)、僕も自分の勉強をしたいと思ったけれど、彼が分かるまで2時間も3時間も一緒に頑張ろうとした。
けれど、たいていはそこまで集中力が続かなくて、分かったと言える前の段階で「ありがとう。でももういいや」と言って彼は帰って行った。

僕は彼が大好きだった。
家が近くて、小学校から中学まで一緒のチームで部活をやって、テストの前にいつも勉強を教えて(どう考えても一緒にやったという感じではなく、教えて、だった)、そして僕がロンドンに引っ越すことになってそれ以来会っていない。

今、自分の人生のゴールが分かってきて、なぜそういうゴールを持つに至ったのだろうかと考えると、いつもあの時間を思い出す。R君との時間を。

僕のゴールは、「出会う人がみな、自分の能力を発揮して幸せに暮らしている」状態を作ることだ。
ナイーブかもしれないが、心の底からそう願っている。
できることなら、さらに押し進めて「世界中のすべての人が自分の能力を発揮して幸せに暮らしている」状態を目指したい。

R君は本当に勉強をしたかったんだと、今思う。
でも彼の家庭の状況はそれを応援する環境ではなかったんだろう。
でもテストが近くなるとやっぱりやりたくなっていつも僕に電話をかけてきた。

僕は、彼のようにやりたいことがあるのに、環境が許さず、状況に押しつぶされて、取り組めないでいる人を見ると何が何でも応援したくなる。
R君にもいつも「もう少しだけ頑張ろうよ」と言ったけれど、彼は少し困った顔をして首を横に振った。

30年近く経って、あの経験が僕の原体験だったんだと、今思う。
彼が算数(数学)が少しできるようになったからといって、人生が変わったかどうかは分からない。
でも、やりたいのにその手伝いが十分にできなかった自分にはずっと歯がゆい思いをしてきた。

それ以来、僕はいつも出会った人が能力を発揮できることを祈って、そして自分がその方法を教えられるように徹底的に能力開発と自己実現の勉強をしてきた。
困っている人がいたら一生懸命応援してきた。

そのため、他にも選べたかもしれない道をいくつも捨てて、自分の思いを貫いてきた。
そして少しずつ、実際に手伝いができるようになってきた。

これからもきっとこの道を生きていくんだと思う。
「世界中のすべての人が自分の能力を発揮して幸せに暮らしている」状態を作れるように、やってみたいと思う。

やり甲斐いがあるゴールじゃないか。
明日もあさってもやることはたくさんあるぞ。