久野つれづれノート
Clubhouseを見て感じること
これは今の時点(2021年2月17日)の感じ方なので、僕の意見もこれから変化するかもしれないけれど、それにしてもClubhouseは時代の流れを反映しているなと思う。
どこのことを言っているのかと言うと、Clubhouseの「圧倒的なカジュアルさ」のこと。
それは内容がアーカイブされないから、ということにあり、かつ会話という究極のインプロヴァイゼーション(要は即興)が前提となっているからだろう。
ただ、それだけでなく、時代がこの「カジュアルさ」を求めているのかなと強く感じた。
コロナの影響でテレワークが普及し、仕事のスタイルもぐっとカジュアルになった。
スーツはますます着なくて良くなったし、マスクもあるし、会議だってオンラインなんだから女性だってノーメイク(あるいはかなり薄いメイク)でも平気になった。
肩ひじ張って、バリバリ生きていかなくても良くなったんだと思う。
今までが無理をしていたのかもしれない。
あまりにそれが当たり前で、すっかりコンフォートゾーンになっていた。
でも、みんな本当はもう少し力を抜きたかったのかも。
Clubhouseを見ていて、聞いていて、これからの流れを感じた。
きっとますますカジュアルな方向に進んでいく。
カナダ人の友人が数人いる。
彼らは、何を着ようが全く気にしない。
着ているものなんて見ていない。
その人の人となりを見ている。
僕たち日本人とは少し違う感覚で過ごしているみたいだ。
もちろん、どちらがいいということでもない。
ただ、これだけは言える。
様式美も大事だけど、やはり中身が大事。
今さらだけど、そんなことも感じながらClubhouseを時々覗いては、時々話してみている。
さて、時代はどこに向かうのかな。