久野つれづれノート
長い長いトンネル:抜けた
この感じは初めてだ。
うまく言葉にならない。
しいて言うならば「長い長いトンネルから抜けた」という感じだろうか。
実際には初めてなので、この表現で適切なのか確信が持てないけれど、今までに時々、誰かの本で読んだ表現に近いので、きっとそう遠くないのだと思う。
出口の光は見えるけれど、走っても走ってもたどり着かない。
そんな毎日を過ごしていた。
もうそんなことを十年も二十年も続けてきた。
いつ始めたのか、いつ始まったのか。
正直言って分からない。
たぶん、物心ついた時にはこの状態だったと思う。
悩んでいたかというと、そういうわけでもない。
でも、苦しくはあった。
いつまでたっても抜けられない苦しさと焦り。
それも意識では自覚していない苦しさだったので、いつもどこかイライラしていたかもしれない。
ふっと気がついたのは、「あれ?実はすでに幸せだった?」ということ。
きっかけは「もっと寄り添うことができるかも」と思ったこと。
出口に向かって全力で走っているときには、とにかく出ることが全てだった。
周りへの配慮は、できる限り。
基本的に、前に進むことが優先された。
そのことで手にしたこともあったけれど、失ったものもたくさんあった。
今だとちょっと違う解釈をする。
もっと周囲のことを考えても大丈夫だ。
もっと寄り添っても大丈夫だ。
このことに気がつけたのが、「ささやかだけど実は大きな幸せ」。
「もうすでに幸せだ」
これを受け入れることができれば文字通り、あなたも私も幸せです。
そう、私たちは幸せなんです。