久野つれづれノート
オサマ・ビン・ラディンの死
今日はこれに触れないわけにはいきません。
正直言って、私は彼が生きている限り世界のどこでどんなテロが起きても不思議はないと思っていました。
それが、一応の終止符を打たれたことに、心の底から安堵します。
実は私は彼の立場に立って物を考えてみたことがあります。
何度もあります。
分かったことは、彼には何か理由があるということ。
そしてそれは人の命を奪うという意味において、絶対的に、絶対的に間違っているということ。
それでも彼には理由があるということ。
人の命は決して奪ってはいけません。
いかなる状況においてもです。
死刑もいけません。
被害者の心情は分かります。
自分の家族が殺されたら、私も死刑賛成派に転じるかもしれません。
実際に、反対派だった弁護士が、家族を殺されて賛成派に転じた事例もあります。
それでも今は、人を殺すのはいかなる状況においてもいけないと言います。
ですから、オサマ・ビン・ラディンを殺すのもいけません。
矛盾していますが、それが本質だと信じています。
できれば捕らえて、生きたまま裁きを受けてもらうことが必要でした。
米軍特殊部隊の第一目標はそうだったはずですが、銃撃戦になってそれは実現しなかったのでしょう。
The New York Timesで、オサマ・ビン・ラディンのことを、Mr. Bin Ladenと書いてありました。
ちゃんとMr.をつけています。
死者に対する敬意なのでしょうか。
私はほっとしています。
ですが、矛盾していますが人を殺してはいけません。
それが私たちを人間たらしめる根源だと信じています。
今日も最後まで読んで頂きましてありがとうございました。