作りたかったロボット

作りたかったロボット

小学校一年生のとき、「ドラえもんを作れないかな」と思っていました。

かなり真剣でした。

その頃、一番仲が良かった友達に「一緒にドラえもんをつくろうよ!」と話していて、彼も一緒に「いいね、作ろう!」と話していました。

当時は時々古いテレビなどが廃棄されていて、子供らしいと思いますが、そこに入っている部品を使ってロボットを作れないかと思っていたのです。
それで、毎日、彼と一緒にどうやってロボットを作れるか話しながら学校から帰るのが楽しみでした。 しばらくそんな日々が続いたと思います。
ところが、ある日から彼がロボットの話を避けるようになったのです。 僕は今までと同じように話をしたいのに、話に乗ってくれないのです。 それで、「どうしてロボットの話をしないの?」としつこく聞いたら「ロボットなんて作れるはずがない」と言い出したのです。 僕はわけがわかりません。 ほんの数日前まで一緒になってロボットを作る話をしていたのに、ある日から「そんなの無理だ」って言い出すなんて。 すごくがっかりしたのを覚えています。 僕はどうしてもやりたかったので、ケンカになってしまいました。

今なら、どうして彼が急に「ロボットを作るなんて無理だ」って言い出したかわかります。 でも当時は、わけがわかりませんでした。 今なら「ドリームキラー」という言葉とその意味を知っているので、何が起きたか当てられます。 彼はきっと、お父さんかお母さんかおじいさんかおばあさんか、誰か近くの人に「ロボットをつくるんだ」と話したんだと思います。 そして「無理だ」と言われたんだと思います。 もしかしたら抵抗したかもしれません。「無理じゃない、できるはずだ!」って。
でも、最後はその「無理だ」を受け入れたのでしょう。 結局、僕も「無理なのかな」と思って毎日を過ごすうちに、そちらを受け入れてしまいました。 僕も間接的にドリームキラーに負けてしまいました。 今は、だいぶ環境が変わりました。 幼いうちから3Dのゲームをやったり、プログラミングをしたり、可能性がとても大きくなりました。

「ドラえもん」のアニメや映画を見るたびに、胸の奥でチクッと痛むものがあることに気がついたのは、ごく最近のことです。 ロボットの一件は、僕にとって、最初に「夢を諦めた経験」だったみたいです。 こういうことを積み上げて、僕たちは夢を見ることができなくなっていくのだと思います。
彼に「無理だ」と言った人を責めるつもりはありません。 その人はそう思ったから言っただけだと思います。

でも、同じことはしたくないと思い、僕は自分の子供に「何でもできるよ」と話しています。 そして世の中の大人たちにも「何でもできるよ」と言い続けています。 もっともっと、言い続けていきたいと思います。