フィードバック、苦手なのが普通だと思います

向き合って話をすることがブームです。
「フィードバック」という言葉を聞く回数が増えてきました。

「フィードバック」の意味を考えると「忌憚なく感じるところを伝えることで相手のパフォーマンスの向上に貢献する」というような意味合いになります。

「忌憚なく」というのは、日本人にとっては恐ろしいものに感じるかもしれません。
言う方も、言われる方も居心地の悪さを感じるものなのだと思います。

以前にも書いたことがあると思いますが、私は1歳から6歳までアメリカで育ったため、最初に脳がアメリカ人として作られました。
その後数年間日本に住んだものの、さらにまたイギリスに行って4年間過ごしたため、思考パターンが日本人になることができずにそのまま大人になりました。
このままでは日本で生きていくのがあまりに苦しいので、その後さらに10年以上をかけてようやく35歳ぐらいの時に、日本人としてのものの見方を習得できました。
「努力して身につけた」という感じです。

元々がアメリカ人の頭の私ですから「忌憚なく」何かを言うのは全く抵抗がないですし、「忌憚なく」何かを言われるのも感謝しか感じません。わざわざ言ってくれたわけですから。

でも、日本人としての感覚をマスターした今の私から見ると「きっと普通の日本人の感覚だとフィードバックって嫌だろうな」と思います。
実際、外資系企業にいた頃に部下に、あるいは同僚に、時には上司にだって「心から相手のためを思って」私がフィードバックをすると、みんな嫌そうでした。
「せっかくわざわざ言ってあげているのになんで嫌そうなんだろう?」
まだ日本人になりきれていない30代前半まではいつもそう思いました。

フィードバックをして不満そうにされると「別に言わなくてもいいけど、言ってあげると相手のためになると思って言っているのに・・・」といつも思いました。

でも今となっては、日本人にはフィードバックは辛いものなのだと、そしてフィードバックに直面してみんなが不満そうだった理由がわかります。
和を重んじ、お互いの気持ちや立場を察することが美徳とされ、そのための技術を磨いてきた日本人にとって「忌憚のないフィードバック」は野蛮なものですらあります。
この感覚は100年や200年で消えるようなものではないかもしれません。

そして、きっと多くの日本人は薄々分かっています。
フィードバックは日本人向きではないかもしれないということを。

それでも世の中でフィードバックが奨励されています。
もちろん世界がグローバル化しているからです。
西洋人の感覚を理解して分かり合えないと、対応することも競争することも難しいからでしょう。
そして、西洋人とのコミュニケーションを通して、フィードバックによって自分や周囲の人のパフォーマンスが改善するのを目の当たりにすると、その効果を賞賛し、取り入れたくなるのもわかります。

たしかにいいものだからです。

 

さて、この日本人に向かないフィードバック、一体どうやって扱ったらいいのでしょう。

実は、私に一つアイディアがあります。

(続きは次回)